昭和4年(1929)! セール 初代集古庵・二代目志ん馬(圓朝文化遺産継承者)の摺り物※納札大王・寄席文字・橘右近(二代目集古庵)落語宝史料

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額縁(縦26×横19センチ)は、余白を含めた紙のサイズで(縦19×横11)、さらに、摺り物の部分は葉書と同じ(縦15×横10)である。なお、貼付写真の細菌年賀状は、大きさを想像しやすく一緒に撮影しました。【二代目志ん馬】(1889~1961)二代目志ん馬の生涯に関しては、橘左近師の名著の『東都噺家系圖』に、下記のように簡潔かつ十分な紹介がなされている。「俗に二代目の志ん馬。大阪生まれで五代目笑福亭松喬(のちの二代目林家染丸)に入門。三喬から染之助で上方一座に加わり、横浜で興業中(新富亭)、折から来演していた立花家橘之助に見出され、寵愛と引き立てのチャンスを得る。三代目志ん生(古今亭)の門人となり、錦生の名で東京の高座を踏んだ。折しも睦会(正式名・睦会三遊柳連という噺家組織)発足で活況を呈す大正6年(1917)売出し中の若手、春風亭枝雀(のち六代目柳橋)翁家馬之助(のち八代目桂文楽)らと並んで志ん馬を襲名。真打昇進ラッシュの波に乗り『睦の若手三羽烏』と喧伝される。月給制を敷く会社派と反対派の大紛争の渦中にあって抜け目なく、出演拒否、契約違反を逆手にとって自己宣伝するなど派手に立ち廻るが結果的空振り、本来の芸で開花することなく昭和初年に高座を退いた。その後、趣味人として、千社札の世界で『納札大王』を名乗るほどのめり込む。裏で支えた粋筋出の賢夫人の力が芸界に知れ渡り、特に橘之助・圓夫婦への孝養は芸人の女房の範と称された。橘之助を通じてなされた圓朝の遺品の保管は、文化遺産の継承として賞賛に値するもの。自らを集古庵と号した志ん馬は一代の趣味人『横浜の志ん馬』として、今も一部の人々に光彩を放っている。因みに、遺品を譲り受けたわが師右近が二代目集古庵を継ぎ、遺品の散逸を守って現在に至っている事を付記したい。次の三代目志ん馬にあたるのは、のちに名人となった五代目古今亭志ん生である」【千社札について】そもそも千社札は、江戸中期以後、天下泰平の寺社詣りの副産物として粋な庶民グッズとして定着した。しかし、大正7年(1918)、竹久夢二が作詞した『宵待草』が大ヒットすると、夢二人気の波に乗ってその美人画は千社札にもなった。これは今日で言えば、AKBや乃木坂が江戸文化に乱入したくらいのインパクトがあった。志ん馬は、寄席から遠のくと同時に、趣味人として千社札を蒐集し、自らも独自の千社札やビラなどを製作した。今回出品した志ん馬の摺り物は、のちに集古庵を名乗る彼の趣味人宣言にあたるものだ。昭和22年(1947)、圓朝文化遺産は、志ん馬から橘右近へと受け継がれた。右近が八代目桂文楽の勧めで橘流寄席文字の家元となるのは、その二年後である。時は流れて、平成7年(1995)二代目集古庵の右近が集めた落語類は、松戸市宅を「集古庵ミュージアム」に一部改装後公開された。閉館後、遺族と一門が史料資と料の散逸を恐れし、平成25年に江戸東京博物館へ寄贈した。3466点が「橘右近コレクション」として収蔵された。【状態と発送に関して】本品は92年も前のもの。状態は、微少な遜色はわずかに見られるが、全体的にはかなり良好な方である。戦災にも、各種災害にも免れ、大切に保管していた証である。貼付写真をよく御覧頂き、自らの目でも確認して頂きたい。ノークレーム・ノーリターンお願いしたい。お宝なので、額は作品を保護するための廉価品なので、落札された方は、改めて良い額縁に入れて飾って欲しい。送料は当方がサービス負担します。

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